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歳を取って歌い続けることの楽しさと素晴らしさが伝わってくるジョン・プラインの最新アルバム『赦しの樹』


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 1960年代の半ば、中学生の頃にぼくはアメリカのフォーク・ソングに夢中になり、その中でも特に興味を覚えたのは自分で新しい歌を作って歌う人たちだった。ボブ・ディラン、トム・パクストン、エリック・アンダースン、フィル・オクスといった人たちで、当時彼らのことはフォーク・シンガーと呼ばれることが多かった。やがて時代は1970年代になって、60年代のフォーク・シンガーたちと同じように、新しい歌を作り、ギターを抱えて歌う人たちが次々と登場してきたが、彼らのことはいつしかフォーク・シンガーとは呼ばれなくなり、シンガー・ソングライターという新しい呼び名が生まれたりした。
 シンガー・ソングライターと呼ばれる人たちの中には、60年代のフォーク・シンガーたちのように伝統的なフォーク・ソングやフォーク・ソング・ムーブメントの大先達のウディ・ガスリーやピート・シーガーの影響などはほとんど受けず、まったく異なる音楽的なバックグラウンドを持つ人たちもいたが、いずれにしてもぼくは自分で作った歌を自分で歌う人たちが大好きだったので、シンガー・ソングライターと呼ばれる人たちの歌を追いかけ続けた。呼び方なんてどうでもいいことだが、シンガー・ソングライターというのは歌の作り手にして歌い手というただそれだけの意味で、実に単純明快、そこには「フォークとは何ぞや?」といった音楽ジャンルの定義にこだわる必要もまったくなかったと言える。

 1970年代になってアメリカやイギリス、あるいはカナダなどから登場してきた英語で歌うたくさんのシンガー・ソングライターたちの歌にぼくは熱心に耳を傾け、その頃に出会って激しく心を揺さぶられたシンガー・ソングライターたちを今もずっと追いかけ、その歌を聞き続けている。とりわけぼくが虜になったその時代、その世代のシンガー・ソングライターを5人挙げるとすれば(うわぁ、自分で作っておきながらこれは難問だ)、クリス・クリストファースン、ジャクソン・ブラウン、ブルース・コバーン、ラウドン・ウェインライト、そしてジョン・プラインということになるだろうか(ほかにももっともっといっぱいいて、挙げていったらきりがないし、ベストの5人もクルクルと入れ替わってしまうのだろうが、とりあえず今この文章を書いている時点ではこの5人を選んでおこう)。
 そして今回はこの4月に『The Tree of Forgiveness/赦しの樹』という、新しいオリジナル曲を集めたアルバムとしては13年ぶりとなる、素晴らしい作品を発表したジョン・プラインのことを書いてみたい。

 ジョン・プラインのデビュー・アルバム『John Prine』がアメリカで発売されたのは1971年のことで、アメリカのメジャー・レーベル、アトランティック・レコードからのリリースだった。当時の日本は洋楽全盛時代で、アメリカで話題になるアルバムはことごとく日本盤が発売されていて、ジョン・プラインのこのデビュー・アルバムも、アトランティック・レーベルのデストリビュート権を持っていたワーナー・パイオニアからすぐに日本盤が出て、アルバムに付けられる解説は麻田浩さんが書かれていたと記憶する。
 ぼくはこのアルバムを手に入れてジョン・プラインの存在を知り、何よりもその歌のすごさにノックアウトされてしまった。ヴェトナム戦争から帰還したもののPTSDを抱えてドラッグ中毒になってしまった男のことが歌われた「Sam Stone」や遠く離れた場所にいるまったく繋がりのない孤独な男と女がそれぞれ恋する自分を夢想してひとり欲望に身を任せることが歌われた「Donald and Lydia」、そして年老いた人たちの孤独や悲しみ、寂しさや絶望が歌われた「Hello In There」や「Angel from Montogomery」など、どの歌も簡潔な歌詞ながら、様々な人々の複雑な人生が深くリアルに抉り取られて歌われていた。歌なのだが、ぼくには優れた映画の印象的な場面を次から次へと見せられているような、あるいは微妙で複雑な物語の世界の中にぐいぐい引き込まれてしまう小説を読んでいるような、そんな気持ちに襲われた。とりわけぼくはジョンが書いて歌う「老人」の歌に強い感銘を受けた。

 ジョン・プラインは1946年10月10日、イリノイ州はシカゴの西にある町メイウッドの出身で、14歳の頃にギターを覚え、1960年代後半にシカゴにあるいくつものフォーク・クラブで歌うようになり、シカゴのフォーク・シーンの中でその存在を知られるようになっていった。ということは「Hello In There」や「Angel from Montogomery」といった「老人」の歌を書いて歌い始めたのは、まだ20代前半か中頃のことで、ジョンはその「若さ」で、年老いた人たちの気持ちや寂しさ、悲しみを見事なまでにリアルに訴える歌を書いて歌っていたことになる。
 ギターが弾けるようになった青年のジョンはシカゴにあるオールド・タウン・スクール・オブ・フォーク・ミュージックに通ったこともあり、ヴェトナム戦争の時代には陸軍に入ってドイツで軍務に服し、アメリカに戻ってからはシカゴで郵便配達の仕事をしている。ドイツと関係があったり、郵便の仕事をしていたりと、その経歴がぼくの大好きな詩人で作家のチャールズ・ブコウスキーとだぶってしまうのがとても興味深い。

 ジョン・プラインの1971年のデビュー・アルバムはいたるところで絶賛され、たちまちのうちに彼は1970年代前半に最も注目されるシンガー・ソングライターの一人となった。アメリカのメディアでは「ネクスト・ディラン」という言葉も踊ったりした。ワーナー・パイオニアから発売された日本盤も、どれほど売れたのかはさだかではないが、あちこちのメディアで取り上げられ、日本でもかなりの話題になったように記憶する。
 ジョン・プラインはミュージシャン仲間からも注目され、彼の曲をカバーして歌うシンガーたちも続々と現れた。「ネクスト・ディラン」などと呼ばれたジョンのことをとりわけ絶賛して褒めそやしたのが、当のボブ・ディランだった。ジョン・プラインが初めてニューヨークで演奏した時、ディランは何の予告もなくステージに飛び入りして、彼のバックでハーモニカを吹いたし、後に「ジョン・プラインはわたしがとても気に入っているソングライターの一人で、彼のように曲を書ける人はほかには誰もいない。プルーストの実存主義そのもののような曲を書く」とも語っている。

 1971年のデビュー・アルバム『John Prine』で成功を収めたジョン・プラインは、その後も同じアトランティック・レーベルから『Diamond In The Rough』(1972)、『Sweet Revenge』(1973)、『Common Sense』(1975)、アトランティックと同じワーナー傘下のアサイラム・レコードに移って『Bruised Orange』(1978)、『Pink Cadillac』(1979)、『Storm Windows』(1980)とコンスタントにアルバムを発表し続けた。次々と新作を発表しても、切れ味鋭く、ペーソスに溢れ、ユーモラスで皮肉も効いた曲の素晴らしさは、味わいや深みを増しこそすれ、鈍くなったり衰えたりするようなことはまったくなかった。日本盤も70年代の半ばぐらいまではきちんと発売され、光栄にもぼくも解説を書かせてもらったことがある。

 しかし1980年代になって、時代がどんどんバブリーになってしまったこともあるのだろうが、日本の洋楽シーンの中でジョン・プラインだけでなくシンガー・ソングライターたちの音楽があまり顧みられなくなってしまった。ジョンは変わることなく新しい曲を書き続け、精力的にライブ活動も続け、アルバムも発表し続けていたが、1980年代中頃に彼は自分のレコード・レーベル、Oh Boy Recordsを立ち上げ、そこからアルバムを発表するようになった。個人レーベルからのリリースということで、新しいアルバムが日本盤できちんと紹介されることもなくなってしまった(最初の頃はメジャー・レーベルがディストリビュートしていたのだが)。
Oh Boyからのジョン・プラインのアルバムは、1984年の『Aimless Love』から今年2018年の最新アルバム『The Tree of Forgiveness』まで全部で15枚に及ぶが、その中にはライブ・アルバムや企画物のクリスマス・アルバム、女性シンガーたちとのデュエット・アルバム、ブルーグラスのシンガーのマック・ワイズマンとのデュエット・アルバムもあったりする。そして前述したように最新アルバムの『The Tree of Forgiveness』は、2005年の『Fair & Squre』以来、オリジナルの新曲を集めたスタジオ録音作としては13年ぶりということになる。

『The Tree of Forgiveness』には全部で10曲が収められていて、ジョン・プラインが一人で書いた曲はそのうちの2曲だけで、ほかの曲はパット・マクローリンやロジャー・クック、ダン・アウアーバックやキース・サイクス、それにフィル・スペクターとの共作だ。共作者には懐かしい名前が並んでいる。どの曲も短く、アルバムは33分ほどで終わってしまう。
 歌詞も曲も演奏もシンプルなことこの上なく、歌われているのは、仲間に先に去られてひとりぼっちになってしまった男の歌、長年付き合ってきたであろうカップルのラブ・ソング、散々好きなことをやりまくってもいまだ懲りることなく、それでも妻に無限の愛を要求する男の歌、そして死んで天国に行ってからのことが歌われた歌など(天国で「The Tree of Forgiveness」というナイトクラブをオープンし、ロックン・ロール・バンドを組んで歌いまくり、酒を飲んで、女の子を追いかけまわすのだ)、人生の最期を迎えつつある人たちの歌ばかりだ。
 20代の「若者」の時に見事な「老人」の歌を何曲も書いて歌っていたジョンは、今年の10月で72歳と本物の(!)「老人」となってしまうが、それで寂しく落ち込むことなど毛頭なく、達観して、あっけらかんと、お迎えが来ようと神様に懺悔もしないで、まだまだ好きなことをやってるぞとやたらとポジティブになって「老人」の歌を作って歌いまくっている。
 ブランディ・カーライルやアマンダ・シャイアーズ、それに元ドライブ・バイ・トラッカーズのジェイスン・イズベルなど若い世代のミュージシャンたちがレコーディングに参加して、ジョンと一緒に歌ったり演奏したりしているのも嬉しいかぎりだ。

 大きな病気を乗り越え、その治療で声もかなり嗄れてしまったものの、そのぶんあたたかみを増し、ますます元気に、そして自分のペースで悠々と歌い続けているジョン・プライン。新しいアルバムの彼の歌を聞いて、ぼくは笑ったり、からだを揺すったり、明るくなったり、そして時にはちょっと切なくなったりもしながら、歳を取るって楽しい、歌い続けるって素晴らしい、音楽っていいなあと、何だかとても嬉しい気持ちでいっぱいになっている。


 

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