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グランド・ティーチャーズ
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なぜ今「A Hard Rain's A-Gonna Fall」なのか。イライザ・ギルキースンを聞いて。


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 いろんなところでもう何度も繰り返してしつこく書いているが、ぼくがフォーク・ソングに夢中になったのは1960年代半ば、中学生の頃だ。最初はキングストン・トリオ、ブラザーズ・フォア、ピーター・ポール&マリーといった、当時人気のあったモダン・フォーク・コーラス・グループを追いかけ、そのうちぼくの関心は彼らがレパートリーとしている歌を作っているフォーク・シンガーたち、ウディ・ガスリーやピート・シーガー、ボブ・ディランやエリック・アンダースン、トム・パクストンやフィル・オクスなどへと移っていった。
 といってもフォーク・シンガーたちを主に聞くようになって、モダン・フォーク・コーラス・グループをまるで聞かなくなったのかといえば、変化はそれほどはっきりしていなくて、モダン・フォーク・コーラス・グループの人気はまだまだ高かったので、ぼくはフォーク・シンガーたちと並行していろんなグループも聞き続けていた。ほんとうにいろんなグループがあって、ぼくが耳を傾けていたグループの名前を思いつくままに挙げていってみると、ライムライターズ、チャッド・ミッチェル・トリオ、ハイウェイメン、ニュー・クリスティ・ミンストレルズ、タリアーズ、ポゾ・セコ・シンガーズ、モダン・フォーク・カルテットなどなど、次から次へと思い出すことができる。
 
 そんなモダン・フォーク・コーラス・グループの先駈け的存在だったのがテリー・ギルキースン&ジ・イージー・ライダーズ(Terry Gilkyson & The Easy Riders)だ。グループが結成されたのは1956年のことだが、1916年生まれのテリーは、第二次世界大戦後すぐにもフォーク・シンガーとして活動を始め、1950年に「The Cry of the Wild Goose」という曲を書いて歌い、その曲はポップス歌手のフランキー・レーンに取り上げられてヒット曲となった。またテリーはピート・シーガーがメンバーだったウィヴァースが1951年に取り上げて大ヒットしたフォーク・ソング「On Top of Old Smokey」のレコーディングにヴォーカルで参加している。
 1960年代の中頃、テリー・ギルキースン&ジ・イージー・ライダーズのアルバムが日本盤で発売されたかどうかははっきりとは覚えていないが、その頃によく出ていたモダン・フォークのオムニバス・アルバムには彼らの「The Cry of the Wild Goose」が確か「野鴨の叫び」という邦題で入っていた。その曲をよく聞いていたことをぼくは覚えている。またテリー・ギルキースン&ジ・イージー・ライダーズの最大のヒット曲はカリプソの人気曲「Mary Ann」をもとにした「Mariannne」で、その曲のシングル盤は1950年代後半に100万枚以上を売り上げている。

 このテリー・ギルキースンの娘がフォーク・シンガーというかシンガー・ソングライターのイライザ・ギルキースン(Eliza Gilkyson)で、ローン・ジャスティスやXのギタリストとしてロサンジェルスの音楽シーンで活躍していたトニー・ギルキースン(Tony Gilkyson)は、彼女の弟、すなわちテリーの息子だ。
 1950年8月にロサンジェルスで生まれたイライザは、1960年代中頃からディズニー映画の音楽を手がけるようになった父の仕事を手伝って、デモで歌ったりするようになった。そして1969年にデビュー・アルバムの『Eliza ’69』を発表。しかし結婚や子育て、引越しなどがあって、二枚目のアルバム『Love from the Hearts』が完成するのは1979年のことで、10年もの間隔が空いてしまった。
 その後、イライザはサンタフェ、オースティン、ロサンジェルスなどアメリカ各地の街を移り住みながら、ツアーやレコーディングなど音楽活動をコンスタントに続けている。レコーディングに関して言えば、80年代や90年代はゴールド・キャッスルやリアライザ、シルヴァーウェーブなどさまざまなレコード・レーベルからアルバムを発表し、21世紀になってからはミネソタのフォーク・レーベル、レッド・ハウス・レコードから20年間で11枚と、一定のペースでアルバムを発表している。

 ぼくがイライザの歌を熱心に聞くようになったのは、『Legends of Rainmaker』(1988年)や『Through The Looking Glass』(1992年)といったアルバムあたりからで、たちまちお気に入りのシンガー・ソングライターの一人となった。彼女が書くオリジナル曲に強く惹きつけられた。フォークやカントリーの音楽的伝統を踏まえ、さまざまな人間関係や恋愛、自分を取り巻く社会や世界のことを深く掘り下げ、美しい言葉で綴る彼女のオリジナル・ソングには傑作がたくさんある。もちろんそれらの歌について書きたいことはいっぱいある。しかしそれは次の機会に書かせてもらうとして、今回はイライザに関してちょっと別のことを書かせてもらいたい。

 最初に触れたようにイライザは有名なフォーク・ミュージシャンを父に持ち、彼女は物心が付いた時からフォーク・ソングにまみれて育って来たと思える。彼女はぼくよりも一つ下の1950年生まれで、もちろんフォーク・ソングの本拠地のアメリカとそこから遠く離れた日本という大きな違いは確実にあるものの、彼女とぼくとは同じようなフォーク遍歴をしているというか、同じようなフォーク体験をしているのではないかと思える。例えばウディ・ガスリーやピート・シーガー、ボブ・ディランなどに対しても、同じような敬慕の念、あるいは共感や感嘆の気持ちを抱いているのではないだろうか。
 そんなイライザ・ギルキースンの最近のアルバムに耳を傾けてみると、彼女は2020年の最新アルバム『2020』で「A Hard Rain’s A-Gonna Fall」や「Where Have All The Flowers Gone」を取り上げ、「My Heart Aches」というオリジナル曲の中には「We Shall Overcome」のフレーズが登場する。また2018年の前作『Secularia』では「Down By The Riverside」が取り上げられている。
 ボブ・ディランやピート・シーガーが1960年代初めに書いた曲、あるいは起源は南北戦争の頃にまで遡る黒人霊歌だが、ピート・シーガーが戦争反対の歌としてよく歌っていた曲など、1950年代から60年代にかけてのモダン・フォーク・リバイバル・ブームの頃の代表曲を今のイライザは積極的に取り上げて歌っているように思える。そしてイライザが歌うそれらのフォークの「名曲」は決して「懐メロ」などではなく、実に新鮮で刺激的な、今の時代の中で強く響く歌として聞こえるのだ。

 ぼく自身のことを言わせてもらえば、もう半世紀以上も前によく聞いていた、自分の原点とも言える、そうしたフォーク・ソングの「名曲」の数々が、最近とても気になる。そして気になった曲を改めて聞いてみると、とても新鮮というか、新たな発見や新たな気づきがあったりする。それでいくつかの曲は日本語の歌詞をつけて歌ってみたり、これから歌ってみようとしている。そしてこれはとても厚かましくて何だかおこがましくもあるのだが、ぼくが今半世紀以上も前のフォーク・ソングを前にして抱いているリフレッシュ感や再発見の気持ちをイライザもまた抱いているのではないかと思ってしまう。イライザの歌を聞けば、彼女がそうしたフォーク・ソングの「クラシック」を、過去を振り返って懐かしんで歌っているのではなく、今の歌として取り上げ、未来に向かって歌っているのだということがよくわかる。

 そんなわけで(少々強引な展開だが)、ぼくの最近のレパートリーは、ボブ・ディランの「A Hard Rain’s A-Gonna Fall」や「Lonesome Death of Hattie Carroll」、ピート・シーガーの「Turn Turn Turn」、ウィヴァースの「Kisses Sweeter Than Wine」、フィル・オクスの「When I’m Gone」などなど、「古い」フォーク・ソングを日本語にして歌うものが多くなって来ている。何だかそれらの歌が2020年の今の時代、ぼくが生きる日本という国、そして70代になってしまったぼく自身にとてもぴったりくるように思える。今現在を歌えるリアルで強力な歌になっているように思えてしかたがない。
 しかしもちろんぼくは自分の歌も作って歌わなければならない。かつてのフォーク・ソングの名曲の数々を、それらが2020年の今の時代や世界や社会にぴったりだと思えるからと、日本語にして歌うことばかりにかまけて、それで満足していてはならない。甘えていてはいけない。それらの歌に刺激を受け、いろんなことが学べるのなら、そこからぼくが向かうのは、自分自身の歌を作ることに決まっている。

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