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アンダーウォーター
水中を優美に泳ぎまわるように見えつつ、水面下では激烈な男の世界が繰り広げられる競技、水球。高校運動部の厳しい練習に辟易しつつも耐え、ポップ・カルチャーを全身に浴びて過ごした90年代の回想的小説。

金曜の夜にさ、俺のバンド、渋谷でライブやるんだよ


登場人物


ピピーッ!
得点を認める力強い笛がプールサイドに響き渡り、
鳴き声を掻き消されたヒグラシが一匹、慌てふためくように電柱から飛び去った。
「あー、もう!」
ゴールキーパーの一太は両腕を挙げ、力任せに二度、水面を叩いてから
仰向けの姿勢でゆっくりと水中に沈んでみせた。
「ナイッシュー」シュートをきめた光太郎に白井が微笑む。
「わりぃ〜」
その後ろで、長谷部は一太に向かって拝むように手を合わせた。
少し離れた位置にいた柏さんが長谷部のもとへと寄って行き、
今のプレイの問題点を説明する。
「長谷部、光太郎と白井にスクリーンかけられたの、わかった?」
「すんません、光太郎がフリーになってから気付きました」
「それじゃ遅いって。スクリーンの練習はさっき、さんざんやっただろ?もっと早く気付いて対応しなきゃ」
「はい」
「あと、横井。白井のマークについていたお前が長谷部に指示を出さないと。長谷部はまだ一年なんだからさ」
「ああ。長谷部、ごめんな」
光太郎と白井のコンビネーションに翻弄された横井さんは荒い息で答え、
長谷部に片手を振って謝った。

横井さんは二年生だ。
僕たちよりも一年間長く水球の練習をしているわけだが、
今から二ヶ月ほど前には光太郎や白井、小柴の動きについていけなくなっていた。
もともと、練習を休むことの多い人だった。
ふらつきながら苦悶の表情を浮かべ「お腹が痛くて」と訴えるのが毎回のパターンで
誰もがそれを仮病と信じた。
部員全員、声にこそ出さないが「またかよ」と思っていて
横井さんの腹痛を「下痢フェイク」と呼んだ。
定期的に繰り出される下痢フェイクに人のよい柏さんは眉をしかめ、
諦めたように「じゃあ今日は見学してろ」と言う。
横井さんは「おう」とこたえてテントの下の日陰に腰掛け、
よく冷えたジュースを飲みながら、プールの中の仲間に向かって
「うーし、声出していこー!」などと声をかけるのだ。
どう見ても、水球という競技に情熱を抱いているとは思えない。
おそらく、先輩部員たちが面白そうだから、
中学水泳部時代から仲の良かった柏さんや針山がいるから、
そんな軽いノリで水球部に入ってしまったのではないか。
僕はそんな横井さんのことが、嫌いではなかった。
横井さんは一年生に対して威張ることのない先輩だったし、
練習についていくだけで精一杯の僕やイワンに対して
他の二年生に聞こえないように優しい言葉をかけてもくれた。
ただ、水球にそれほど興味がないだけなのだ。

僕が横井さんに親しみを感じていた理由は、もうひとつある。
横井さんは中学の頃から、同学年の友人たちとバンドを組んでいた。
担当はヴォーカルだ。
横井さんは、ハンサムではない(どちらかといえばフグに似ている)。
背も高くない(どちらかといえば低い。しかも小太り)。
しかし歌はうまかった。何より、目立つのが大好きだった。

僕が中学一年から二年へと進級する春、学校の講堂で音楽会が開かれた。
各学年、各クラスごとに音楽の授業で練習した課題曲を
合唱したり、リコーダーで合奏したりする催しだ。
観客は生徒と教師のみ。他の学校の女子はおろか、父兄すら来ない。
何の面白みも感じられないイベントだったが
僕はひとつだけ、忘れることのない出会いをした。

全クラスの演奏が終わり、
講堂から退出する人の波が出口扉を中心に渦巻く中、
僕はパイプ椅子に坐ったままその場に残っていた。
水泳部の一年先輩である横井さんから、
音楽会終了後にバンドでライブやるから観てくれよ、と言われていたのだ。
見回すと、全学年合わせて30人ほどの生徒が講堂に残っていた。
おそらく皆、バンドメンバーの友人や後輩だろう。
その中には一太の姿もあった。
横井さんのバンドがステージに登場する。
白いワイシャツに制服のズボン。1988年の中学生だ。
有名な曲ばかりコピーする彼らの演奏はたどたどしかったけれど、
生まれて初めてバンドのライブを生で観る僕にとっては、十分に刺激的だった。

バンドのレパートリーの中に一曲だけ、僕の知らない曲があった。
日本語の歌だ。曲も歌詞も、テレビの歌番組で流れる類の音楽とは違っていた。
気取りのないメロディー、荒々しいプレイ。
難しい言葉を使わずに、僕がそれまでに聴いたことのないことを歌っていた。
新鮮だった。

当時の僕は、水泳部の仲間たちからまわってきたCDを
メタル・テープにダビングしては、部屋のラジカセで聴いていた。
洋楽を聴く自分はもう、ガキではない。14才の中学一年生はそう信じ
ディープパープル、メタリカ、ドッケンを延々とローテーションした。
ディープパープルの音楽は親しみやすかった。
メタリカは激しかった(14才の公式〈激しい=すげえ=かっこいい〉)。
ドッケンの魅力は僕にはよくわからなかったけれど、
聴き続ければいつかは好きになるのではないかと期待し
二日に一度は聴いていた。

でもその日、その日本語の曲を聴いた時から、僕の音楽の好みは一変した。
僕が求めているのはこういう音楽なのではないか、と思った。
その体験は僕にとって、自分が本当に好きなものを探し求めて踏み出すことになる
リスナーとしての音楽的放浪、いや、迷子への第一歩となった。

全ての演奏が終わった後、ステージで後片付けをしている横井さんに声をかけて
その曲のことを尋ねた。横井さんはマイクのコードをぐるぐると巻きながら
「ああ、あれ?ブルーハーツの『街』って曲」
と言った。
ブルーハーツ。初めて聞く名前だった。
彼らのシングル『TRAIN-TRAIN 』がテレビドラマの主題歌として流れるのは
その八ヶ月後のことだ。



2チームに分かれてのゲーム(試合)は、毎日練習の最後に行なわれる。
光太郎が得点をきめた今は、第4クォーターの終盤。
ゲームはあと数分で終わる。
夕飯の時間もあるし、今日の練習はそろそろ終わりでしょう。
柏さんが長谷部にゲーム中の動き方を説明している間、
僕は自分のポジションまで泳いで戻り、そんなことを考えていた。

「もうすぐ終わりだな」
言われて振り返ると、すぐそばに横井さんがいた。
横井さんは練習中、こまめに時計をチェックしていて
常に「あと何分で水から上がれるか」を把握しているのだ。
「そうすね」と僕は答えた。
横井さんは小さな声で続ける。
「ヨンピル、今度のオフって何か用事入ってる?」
「合宿後の三連休すか?いえ、今のとこ特に何もないですけど」
「金曜の夜にさ、俺のバンド、渋谷でライブやるんだよ」
「マジすか?あ、行きます行きます」
「サンキュー、頼むわ。よろしくな」

横井さんの読みは正しかった。
審判を務めていた安川監督はくわえていた笛を口から離すと
左腕の手首に目を近付けて、腕時計をじっと睨んだ。
監督の視力は0.1しかない。辺りは既に暗くなり初めている。
「柏-、時間。そろそろ」
「はい。上がります」
柏さんが頷く。
ピ、ピ、ピーーーーーーーーーー。
監督が長く長く笛を吹き、合宿五日目の午後練習が終わった。

全員がプールから上がったのを見計らって、柏さんが声を張る。「ハイ、集合!」
すかさず一年生が復唱する。「集合でぃす!」
プールサイドに、監督と柏さんを中心とした円が出来上がる。
柏さんが口を開く。
「ハイ、じゃあ今日の練習は終わり。安川さん、何かありますか?」
「んー……特にないよ。あ、4クォーター目の白井と光太郎、ナイス・スクリーン。ああいう感じでさ、練習でやったことをゲームの中でどんどん試していこう」
光太郎と白井は目に喜びを浮かべ、監督に向かって小さく頭を下げた。
柏さんが後を引き継ぐ。
「うす。みんな、積極的に仕掛けていくように。失敗を恐れて何もしなかったらゲームが動かないし、だいたい、つまんないだろ?なっ。ま、そんなとこかな……ああー、そうだ、一年生」
「ハイッ!」
来た。一年生部員7人は腹に力を込め、低く鋭い声で返事をした。
「分かってるだろうけど、スポーツ・タイマー。ダメだよ忘れたら」
「ハイッ!すみませんでしたッ!」
勢いよく頭を下げた瞬間、こめかみのあたりに、刺すような視線を感じた。
針山だ。見なくても分かる。
胸がむかつく。背筋を冷たい何かが伝う。絶対に針山の方を見てはいけない。
僕はイコンを前にした敬虔な信者のように柏さんをただただ見つめ、言葉を待った。
「晩飯はこのあと7時から……えー……20分後ね。遅れないように。じゃあ、解散!」
「しトゥ!」
プールサイドに野太い声が響く。
僕は音をたてずに大きく息を吐き、針山の視線から逃げるように背を向けた。

「しトゥ」は「した」の変型で、
「した」はおそらく「ありがとうございました」の略、なのだろう。
正しい意味を教わったことはない。
この挨拶もまた、上級生がやっているのを見て、見よう見まねで身につけたものだ。
僕たちは、分からないまま使っている言葉が多すぎる。

一年生部員はすぐさま後片付けにとりかかる。
ダラダラしていて食事の時間に遅れれば
また一歩、まわしに近づいてしまう。
だから練習でどんなに疲れていても、へばっている余裕はない。
全員がテキパキと動く。
スポーツ・タイマーを倉庫にしまい、
プール中に散らばって浮いているボールをカゴに集め、
その他練習に使った道具をまとめて片付ける。
明日の午前練習のためにフィールドロープをはずし、ゴールをプールサイドへ上げる。
最後に全員で息を合わせ、テントを折り畳む。
「いててててててッ!ちょっ、ちょっとストップストップ!指挟んだ!」
テントの金具に指を挟んだ長谷部が悲鳴をあげる。
「バーカ、気をつけろ。おら、早く畳むぞ」
隣に立っていた小柴は呆れた声でテントを持ち上げ、
長谷部が金具から指を抜くのを見届けてから
再びゆっくりと腰をおとし、テントを折り畳む。

プールに向かって軽く頭を下げ、礼を済ませた僕たちは
両手に荷物を抱えて薄暗いプールサイドを走り、
L字型の階段を二段抜かしで駆け上がり、
高台にある部室兼更衣室へ飛び込む。
二年生部員の姿は既にない。
着替え終って、夕食の予約を入れたレストランへ向かったのだろう。
時間がない。一年生部員は体をろくに拭くこともせずに服を着る。
水着やタオルといった荷物を、宿舎に置きに行く余裕はない。
夕食を食べるレストラン「コースト」は駅の向こう側、北口商店街にある。
宿舎として使っている高校校舎は、南口の並木道を上がった先。コーストとは反対方向だ。
だから荷物は部室に置いていく。
脱いだ水着は、建物の外の手すりに腰ヒモで結わえて夜風にさらし、干しておく。
男子高校生の水着を盗む人間などいないから、食後に取りに来ればいいだろう。

「先行くぞー」
着替えの早い一太と白井はもう部室を出ようとしている。
「待って、今行く」
光太郎と長谷部が続き、僕もスニーカーをつっかけて小走りで出ていく。
外に水着を干していたイワンも走ってきた。
まだ中にいるのは小柴だけだ。
「おーい!どうしたー?もう行くぞー!」
部室の前で、寄ってくる蚊を叩き潰しながら声をかけると
更衣室の奥にあるトイレから、小柴の返事が返ってきた。
「わり、すぐ追う!先行ってて!」
おそらく鏡の前でスタイリングをチェックしているのだろう。
合宿中の格好なんて、涼しくて楽なら何でもいいでしょ、と
服装に無頓着な態度で夏合宿に臨む部員たちの中にあって
小柴だけは違っていた。

小柴は小学生の時、僕の隣のクラスにいた。
どことなく高圧的な喋り方が怖くて僕は彼を避け、
6年の間、ほとんど話すことはなかった。
親しくなったのは、中学水泳部で一緒になってからだ。
話し方は相変わらず偉そうだったけれど、
実は正義感の強い、面倒見の良い男だった。
クロールの選手だった彼は、小柄ながら鎧のような筋肉をつけていて
その体はサイの子供を思わせた。
顔は、サイというよりもワニに似ている。
ひとつ年上のお兄さんとその友人の影響だろう、
音楽やファッションにいち早く興味を持ち、
高校に入ると自分の部屋に二台のターンテーブルとミキサーを運び込み、
複数のスピーカーをブンブン震わせてDJの練習を始めた。

妥協を知らない彼は、朝夕練習漬けの合宿においても服装に気をつかっていた。
Tシャツと短パンはステューシー。
外出時にはラルフローレンのパッチワーク・ハットをかぶる。
「どうせ、メシん時は帽子を取るのになあ」
光太郎が呆れて笑いながら呟いた。
「合宿でオシャレしてんじゃねーっつうの。もう行こうぜ」
白井はプールから上がって間もないのに、もう汗をかいている。
皆がそろそろと歩き始めたその時、
小柴が更衣室からヨタヨタと走ってきた。
履いているのは黒のエア・ジョーダン6だ。
このスニーカーはハイカットだから、
履くのに少し手間がかかったのかもしれない。

「わーりわり。お待たせ、急ごうぜ」
「言われなくても急ぐわ!」
一太がブスっとした表情で答えた。
怒っているのではない。普段からそういう顔なのだ。
「マジ急がねぇとヤベぇぞ。おいイワン、今何時?」
白井に訊かれて、イワンは腕時計に視線を落とす。
「えーと……6時……6時55分」
「あと5分じゃん!」
長谷部が素っ頓狂な声を上げる。
先頭を歩いていた光太郎が振り向き、鋭く言った。
「おい、信号渡るぞ!」
僕たちは、信号が点滅し始めた駅前の横断歩道へ向かって、一斉に走り出した。

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