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不思議のフシギ
ワタシのココロって不思議。ワタシとアナタの関係も不思議。考えだすときりがないヒトの不思議のモロモロを、不思議ってフシギだなあと楽しんでみます。

おいてきぼりの身体


「最近、走っているんですよ」

そんな言葉を昨年から、頻繁に聞いている。詳しい統計には当たっていないが、周囲をざっと見回しても、ランニング人口は増えている気配が濃厚だ。

それだけなら「ふーん」と聞き流しておけばよいのだけど、知り合いのウェブ社会に詳しい研究者やライターたちも、ぞろぞろと走り始めたことを聞くにつけ、しかもかなりハマっていることを嬉しそうに話すのを聞くにつけ、軽い驚きを覚えたのだ。だって、見るからに走らなそうな人たちだったから。

書籍の世界でも「カラダを鍛える」系の本は増えている。たとえば「お勉強」のイメージが強い「新書」ジャンルでも、ランニングやウォーキングをはじめとした、身体トレーニングをテーマにした本が次々と発刊されている。これも、「お客」の増加を出版社が見込んでのことだろう。

増えていると言えば、ツイッター人口もここ1〜2年で急速に増えた。いや、ツイッターだけじゃなく、USTREAMやニコニコ生動画など、いわゆるソーシャルメディア全体についても、今回の震災での有力な情報収集の手段として認められたことで、ぐっと利用者数を増やしたに違いない。

すごく乱暴にまとめるならば、2000年代終盤の「始めました」ランキングでは、ランニングとツイッターが東西横綱としてランクインするんじゃないか。そして両者は、まんざら無関係じゃないのでは、というのが今回の話である。

まず、こんなことを考えてみてほしい。メール、電話、テレビ、ラジオなど、さまざまなメディアを使ってぼくらがやっていることを、メディアという「媒介」のない体験に還元できるかどうか。

たとえば、メールや電話は「二人の会話」に還元できるだろう。テレビやラジオは、広場での演劇やスピーチとコミュニケーションの構造は同じだ。

では、ツイッターはどうだろう。僕は、ツイッターを何かにたとえて説明できないかと考えたことがあるのだが、まったく妙案が浮かばなかった。そこでコラムニストの石原壮一郎氏のたとえをお借りしよう。

〈大ざっぱにたとえると、無数の人がひしめき合っている巨大なホールで、そこに集っているそれぞれの人が、他人に聞かれることを意識しながら、気が向いたときに近況や思いつきをつぶやいています。目立ちたくて、あるいは使命感に燃えて、大きな声でインパクトのあることをつぶやく人もいます。

 こっちは「この人のつぶやきを読みたい」と思った人を選んで(専門用語で「フォローする」)、自分だけの一覧表(専門用語で「タイムライン」)を作ります。一覧表をのぞくたびに、選んでいる人の新しいつぶやきが次々に現れます。自分のつぶやきも、誰かが“この人のつぶやきを読みたい”と思って選んでくれる(専門用語で「フォローされる」)と、その人の一覧表に流れます〉

正直な感想をいうと、前半部分は「さすがコラムニスト!」と唸ったのだけど、後半はちょっと苦しい。たとえばツイッターのツの字も知らない人に、こうやって説明をしても、「一覧表」あたりでつまずいちゃうんじゃないか。

しかし、これは致し方ないことだろう。というのも、僕らはツイッターをたとえ話として説明できるような材料(体験)を持っていないのだ。

おそらくツイッターのコミュニケーションを、メディアの媒介なしで実現するためには身体が一つでは持たない。「無数の人がひしめき合っている巨大なホール」で、自分が何かをつぶやきながら、いろんな人のつぶやきを聞き、時にはそれに応答するなんてことは、たとえ聖徳太子だって至難の業だろう。

つまり僕らは、身体感覚としてにわかには飲み込めない情報環境に身をおいているのだ。そのとき身体は、意識や思考においてきぼりを食らうとは考えられないだろうか。

たとえば、コンピュータの画面にずっと向かっていると、肩も凝るし腰も痛くなる。情報処理とは決してアタマのなかだけで済むことではなく、それを受け止める身体にも負荷をかける。

いわんや、身体にとって、なんだかよくわからないコミュニケーションをアタマがずんずんと実行してしまうとしたら、身体は「ちょっと待った」と言いたくなるはずだ。

2008年に『仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか』なんて本がヒットをした理由もこれでわかるだろう。大量の情報を処理するには、それ相応の身体がなくては心身に不全を起こす。おいてきぼりになった身体を必死にアタマに追いつかせようとしているのが、昨今のトレーニング流行りの実相なんじゃないか。

ITガジェットが大好きな勝間和代も、自転車移動や水泳の練習には余念がない。経営者にはトライアスロンが大人気だという。

しかも、最近のランニングはクラブで集まって走ったり、ウェブ上でランニング情報を共有したりしているわけだから、まさしく「おいてきぼりになった身体を必死にアタマに追いつかせようとしている」のだ。

そう考えてみれば、ネット社会を分析する研究者やライターが走り出すのも至極当たり前に思えてくる。「無数の人がひしめき合っている巨大なホール」で何が起きているのかを論じるためには、どんな参加者よりも動き回らなくっちゃならないのだから。

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