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アンダーウォーター
水中を優美に泳ぎまわるように見えつつ、水面下では激烈な男の世界が繰り広げられる競技、水球。高校運動部の厳しい練習に辟易しつつも耐え、ポップ・カルチャーを全身に浴びて過ごした90年代の回想的小説。

ちとやってみ


「なにこれ同じ音じゃん。どういうこと?」
驚いた僕は小柴に尋ねた。
右のターンテーブルではヤン富田の『PHARAOH'S DEN』、
左のターンテーブルではJungle Brothersの『Done by the Forces of Nature』が
まわっている。
異なるレコードなのに、鳴っているのは同じサックス、同じベースラインだ。
小柴はミキサーを睨んだまま言った。
「な。同じネタ使ってんだよ」
いや、それは分かるけどさ。

ヒップホップの世界には「定番」と呼ばれるサンプリング・ソースがいくつもあって
同じビート、同じベースが様々な曲で引用される。
そのことはぼんやりと知っていた。
いま小柴の部屋のスピーカーから流れているこのサックスやベースも
その手の、頻繁に使われがちな定番ネタなのだろうか。
それとも、Jungle Brothersとヤン富田が偶然同じネタを選んだ、とか?
ヒップホップに触れてまだ日の浅い僕には、判断がつかなかった。
ネタだサンプリングだと知ったような口をきいているけれど
実際にはJames Brownさえ聴いたことのない高校1年生なのだ。
古い音楽を聴いてみたい気持ちは山々なのだけど、小遣いは限られていて
未知のCDを買えるほどの余裕はなかった。
買えないのならば借りればいい。
そう思ってレンタルレコード店「友&愛」へママチャリをとばしても
洋楽ダンスミュージックコーナーに置かれているのは
ユーロビートのコンピレーションばかりで
JBはおろかヒップホップもなかった(MC Hammerはあった)。
CDショップに試聴機がなかった時代。
70年代のファンクやサンプリング・ソースの知識をどこから仕入れれば良いのか、
僕には想像もつかなかった。
『PHARAOH'S DEN』と『Done by the Forces of Nature』が同じネタを使った
ことの次第は、それから数年後、テイ・トウワの文章によって明らかにされた。

  20代になって、NYに移り。
  ある日、日本からDJ教則用(ブレイクビート)レコードが届き、
  あまりに「ドウプ」だったんで、
  レコーディング中のジャングル・ブラザーズのリーダーのアフリカに聴かせると
 「これだ」と叫んで、詞だけ完成していたアルバムタイトル曲
 「ダーン・バイ・ザ・フォーセス・オブ・ネイチャー」を
  そのレコードに乗せてラップし始めた。
  僕はその時音楽の持つ"必然性のある偶然"に大感動した。
  音と音が僕らの耳と通して、出会ったんじゃないかと。
  このときの教則用レコードの作者がヤン氏であった。 

これは、ヤン富田のアルバム『MUSIC FOR ASTRO AGE』の発売に際して
テイ・トウワが雑誌『HOT DOG PRESS』に寄せた文章の一部分だ。
ここで語られる「DJ教則用(ブレイクビート)レコード」とは
『PHARAOH'S DEN』の12インチを指している。
ヤン富田の『PHARAOH'S DEN』を手に入れたテイ・トウワは
友人であるJungle Brothersにこのレコードを紹介した。
Jungle Brothersは『PHARAOH'S DEN』を気に入り、
これを元に『Done by the Forces of Nature』が作られた。
この記事を読んで僕はようやくその事実を知ることができた。
けれどもそれは1992年のこと。物語はまだ、1990年の夏の終わりをさまよっている。



小柴は、ネタが一致した経緯には興味を示さない。
彼にとって大切なのは、同じネタを使っている理由とかトラック制作の背景ではなく、
同じネタを使っているからつなぎやすい、という目の前の事実なのかもしれない。
レコードをDJのためのツール、道具としてとらえている。
その割り切り方は潔いと思った。こういうのがDJなんだろうな、と思った。
小柴と比べると自分はいかにも頭でっかちだ。
物語の裏側を知りたがり、些末な知識にこだわる。ようするにオタクくさい。
自分がオタクくさいことは自覚していた。

中学時代、僕は絵にかいたようなオタクだった。
水野良の『ロードス島戦記』に感動し、授業中はノートの端にひたすら
騎士や竜のイラストを描いた。田中芳樹の長編に胸を熱くし、
とり・みきのマンガをきっかけに岬兄悟や火浦功のSF小説を読み、
5インチのフロッピーディスクをギコギコいわせながら
PC-9801VMでドット絵を描き、
ドラゴンクエストやウィザードリィのルーツを知りたくて
テーブルトークRPGをプレイする。
『ニュータイプ』『コンプティーク』『ドラゴンマガジン』を毎月購読し、
ブルーハーツや筋肉少女帯を聴く一方で『究極超人あ〜る』のイメージアルバムを愛聴した。

中学三年のある日、突然、そういった一切に興味を失った。
これまで好きだったものがどれもかっこ悪く見えて、
もっと新しい刺激を求めるようになった。
一様に目が大きく顎の尖ったキャラクターばかりのアニメ絵が、
ひどく保守的に見えた。ようするに飽きてしまったのだ。
ドラゴンの絵なんか描いていたらいつまでたってもモテないんじゃないか、
という焦りもあった。

レピッシュの表紙に惹かれて買った『宝島』にスチャダラパーや電気グルーヴが載っていた。
なんだか分からないけれどこの人たちは面白そうだと気になって、
新宿の帝都無線で『スチャダラ大作戦』と『662BPM』を手に入れた。
『スチャダラ大作戦』には聴くたびに発見があって、じわじわとはまった。
『662BPM』は初めて聴いた時から最高だった。
2枚とも、パナソニックのポータブルCDプレイヤーでひたすらリピートしては
歌詞を暗記した。
数日後には、スチャダラパーが所属するレーベルのコンピレーション・アルバム
『MAJOR FORCE COMPACT』Vol.1と2を買ってTINY PANXやECDの音楽に触れた。
特にTINY PANXの『LAST ORGY』を聴いた時には
世の中にこんなにかっこいい音楽があるのか、と興奮して頭に血がのぼった。
サンプリングされた声ネタとビートがコラージュのように入り組んだイントロだけでも
これが世界一クールな曲だと断言できた。
TINY PANXの作品は、コンピレーションには1曲しか入っていない。
彼らの他の作品はどこで聴けるのか。それが知りたかった。
世界には自分の知らないかっこいいものや面白いものが沢山あって、
自分はこれからその未知の扉を開けることができる。出会うことができる。
そう考えると心が躍った。
気がつくと僕はDJに憧れていた。

でも結局のところ僕は何ひとつ自分のものにできていない。情報として知っているだけだ。
藤原ヒロシや大貫憲章がプレイするという新宿のミロスガレージは、新宿のどこにあるのか?
仮に知ったとしても、どんな服を着て行けばよいのか見当もつかない。
エアジョーダンはどこへ行けば買えるのやら。
知ったところで、買えるだけのお金を持っていない。
まだ数の少ない日本語ラップのCDを買い求めるので精一杯だった。
世界の広さが垣間見えたというのに、僕が動ける範囲はきわめて限られている。
そんな僕にとって、小柴のDJ機材に触れさせてもらうことは、大いなる前進だった。
床にすわりこんでポストウォーターを一口飲んだ。ぬるい。
ぬるくなったポストウォーターはライチ味の鋭い輪郭を失って、
まるで古くて酸っぱい水のようだった。



小柴はクロスフェーダーを右端にスライドさせると、
回転したままの左のターンテーブルからJungle Brothersのレコードをどけて
かわりに段ボールから取り出したもう1枚の『PHARAOH'S DEN』を置いた。
左右のターンテーブルで同じレコードが回転する。
小柴は、上下を反転させたヘッドフォンの片側を左肩と左耳の間に挾んで
そこから鳴る音に集中した。
その一連の動作がいかにもDJっぽくて、僕はつい見入ってしまう。
水球の試合でどんなに上手なプレイを見ても、こんな風に見惚れることはない。
うまいなあ、と他人事のように見ているだけだ。
DJはそうではない。自分でもやってみたい、と強く思う。
「このボタンを押すと」
小柴が口を開き、ミキサーの右下に並んでいる小さなボタンを指した。
「ヘッドフォンから出る音を選べる」
僕は尋ねた。
「音を選べる?」
「左のターンテーブルでまわってるレコードの音か、
 右のターンテーブルでまわってるレコードの音か。
 あとスピーカーから出てる音も聴けるな。
 で、それ聴きながら次にかける曲のビートを合わせんだよ。
 今はクロスフェーダーを右に寄せてるから、
 左のターンテーブルの音はスピーカーから出てないだろ?
 その間にヘッドフォンで左のレコードの音を聴いて、
 右の音とビートを合わせる」
小柴はそう言いながら左のレコードのレーベル部分に指を置き、
レコードをくるくると逆回転させた。おおお、DJっぽい!!
レコード盤は縁を両手で持って丁寧に扱わなければならない、
という僕の知っている常識に反したワイルドなDJの動き。
DJはオーディオマニアやコレクターとは違う。そのラフさがたまらない。
写真や映像でしか見たことのなかったDJの手さばきを初めて生で見て、僕は興奮した。

小柴は回転するレコードとミキサーから視線を上げずに言う。
「小節の頭のキックでつなぐんだよ」
しょうせつ?一瞬考えた。それは小節のことか。
学校の、音楽の授業でしか聞いたことがない言葉だ。
頭に浮かんだのは、小学校の音楽室の黒板に書かれた五線譜とオタマジャクシだった。
鳩のような体型の老女教師が教鞭をとっていた音楽の授業には
退屈な印象しか残っていない。
残り時間を気にして時計ばかり見て過ごした音楽の授業と、
黒く艶めかしく光る12インチ・シングルやクロスフェーダーのイメージが
うまく結びつかない。ヒップホップですらクラシカルな音楽理論と結びついているのか。
少し気が遠くなる。僕は音楽の授業が大嫌いだった。
小節の頭って、聴けば分かるものなのか?自分の耳で聴いて分かる自信がなかった。
それに加えて「キック」の意味もあやうい。バスドラのこと……でしたっけ?
教えて、と言い出せず頭の中に疑問が渦巻きもやもやしている僕を
小柴は振り返ることもなく、指で軽くレコードを押したり戻したりして
ミックスのための微調整を繰り返している。
「ビートを合わせたらクロスフェーダーを真ん中へ寄せていく」
僕は考えることを一旦やめ、クロスフェーダーをスライドさせる小柴の指を見ながら
スピーカーから流れ出る音に神経を集中させた。
音が変化した様子はない。
反応のない僕の表情をちらりと見て、小柴が言った。
「今出てんの、左の音な」
「あ、え!左?右のレコードから左のレコードに変わったの全然気付かなかったんだけど」
「ビート完璧に合わせたから。同じレコードだし」
「うーわっ、レコードってこんなにきれいにつながるもんなんだ!すっげえな」
僕が心底感心してそう言うと、小柴は相好を崩し大声で叫んだ。
「くっっっそ練習したもーん!」
もーん、のところで声が裏返る。いつもの偉そうな口調からの豹変ぶりは唐突で、
もしかすると女の子ならばこういうのを見て
母性本能をくすぐられたりもするのかもしれないが
僕は女の子ではないのでハハハと曖昧な笑顔を浮かべながら
「なんだ小柴、緊張してたのか」と思った。
小柴は上機嫌で、ビートに合わせ顎を突き出すようにして頭を振っている。
そして曲が終わるとレコードから針を上げ、レコードプライヤーの電源を切り、
それから僕に向かって言った。
「ちとやってみ」

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