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アンダーウォーター
水中を優美に泳ぎまわるように見えつつ、水面下では激烈な男の世界が繰り広げられる競技、水球。高校運動部の厳しい練習に辟易しつつも耐え、ポップ・カルチャーを全身に浴びて過ごした90年代の回想的小説。

僕はDJへの第一歩を踏み出した。


嬉しさと緊張が入り混じる。
「うっす」
僕は短く返して長机の前に立った。
机の上には二台のターンテーブルが置かれていて
その真ん中には黒いディスコミキサーがセットされている。
小柴のDJブースだ。
Technicsのターンテーブルは、父の古いレコードプレイヤーよりもスマートで
それはおじさんが休日に音楽を聴くための重たく角張った機械とは別のもの、
職人が使う専門的な道具のように見えた。

ひとつひとつ確かめるように、ボタンやパーツにそっと触れる。
太く短い円柱型の電源をつまんで左右にひねる。
円柱に仕込まれたランプが灯り、ターンテーブルの縁を赤く照らす。
ターンテーブルの縁には金属製の小さな円が縦4列に規則正しく打ち込まれ、
周囲をぐるっと一周している。
START/STOPボタンを押してみた。バネで戻ってくる軽い感触が心地良い。
ターンテーブルは音もなく時計回りに回転を始めた。
回ることによって、ターンテーブルの縁に打ち込まれた無数の小さな円は
つながった線のように見える。縦に並んだ4本の線だ。
けれども円柱の赤いランプに照らされている範囲だけは線にならず
小さな円のままゆっくりと動いている。どうしてそう見えるのか分からない。
僕はその不思議な光と円の動きに魅了され、目を近づけてじっと見つめた。
このままずっと見続けていたい気持ちになる。きっと飽きることはない。
レコードの音を鳴らす以前に、
僕はターンテーブルの動きを見るだけで満足しかかっていた。

回転数を切り替える細長いボタンを押すと、
赤にランプに照らされた円は一瞬震えるような動きをして
そしてまたすぐに元の速さでまわりだす。
「ピッチを変えると円の動きも変わる」
そう言って小柴は僕の脇から手を伸ばし、
プレイヤーの右端に備え付けられたピッチコントローラーを縦にスライドさせた。
赤く照らされた円の動きに変化が起きる。縦に並んだ4列の円のうち、
それまで停止しているように見えた上から3列目の円がゆっくりと動き出し
かわりに上から2列目の円が動きを止めた。小柴が言う。
「何列目が止まっているかでピッチがわかんだよ。
 2列目が止まってる時は+3.3な」
小柴の説明を聞いても、僕にはその意味も理屈も全く理解できなかった。
理解できないまま僕はまた曖昧な相槌を打つ。

左のターンテーブルのレコード針をおそるおそるつまみ上げた。
可能な限りゆっくりとした手つきで、針をレコードの溝におろす。
そしてSTARTボタンを押した。
針が溝を掻き進み、スピーカーから静かなノイズが流れ出す。
長い数秒の後、突然曲が始まった。よしできた!
ただレコードをかけただけで僕は早くも何かに成功したような気分になっていた。
ちらりと見ると、小柴は黙って腕を組んでいる。
目が合うと小柴は「ん?なに?」とでも言いたげに眉毛を上げてみせた。
僕は何事もなかったかのように小柴から目をそらして、
再びターンテーブルとミキサーに視線を落とした。

ミキサーの縦フェーダーをいじって音量を調整し「ん、なるほど」と呟いてみる。
ことは順調に進んでいる。
レコードは回り、ミキサーは正しく反応し、僕はDJへの第一歩を踏み出した。
DJ。DJか。
僕のクラスに、ターンテーブルに触ったことのあるやつなんているだろうか?
いないね。いないに決まってる。僕?ああ、僕はありますよ。
ターンテーブルに初めて触ったのは、ええと、高一の夏かな。
緊張?しましたね(苦笑)……
「ヨンピル、右のレコードもかけろよ」
小柴の声によってDJ TOTSUKAの妄想インタビューは脆くも打ち破られ
僕は水球部のヨンピルという現実へ一気に引き戻された。
わかったよ。かけるよ。
オッケー、と小さく答えて僕はもう片方のレコードに針を下ろす。
STARTボタンを押す。ターンテーブルが回転し針が溝を進む。
ミキサー右下のボタンを押して、ヘッドフォンから出る音を切り替えてみた。
スピーカーから出ている音と、ヘッドフォンから出ている音が
頭の中でごちゃ混ぜになる。あれ?これはどっちの音だ?
何度もボタンを押しているうち、僕はひどく混乱してしまった。
えっと、今このヘッドフォンからは、どっちのレコードの音が出ているんだっけ?
あれ?スピーカーから出ている音は?
僕には、焦ると無意識のうちに「あれ?」とつぶやく癖がある。
弱々しく情けない声。そういう自分が嫌いだった。
僕の混乱と無関係にレコードはまわり続ける。
見かねた小柴が腕を伸ばしてクロスフェーダーを指差し、言った。
「今スピーカーから出てんのはこっちの音な。
 で、ヘッドフォンから出てるのはこっち」
「ちょっと待って、え、クロスフェーダーが左だから、はい、で、あれ?ええと」
「おい、ヨンピル〜。お前ちょっと落ち着けよ」
「あ、はい」
「別に誰も聴いてねえんだし。今ここで焦る意味がわかんねえ」
「だよね。分かった。うん」
僕はひとつ息をつく。
そして、フェーダーとボタンを指差し確認して状況を確かめた。
なんだか慎重すぎてかっこわるいな、とは思うけれど
小柴の前で格好をつけても仕方がないと思ったのだ。今は素直な生徒になろう。
そう思うと少し落ち着いて、気持ちが楽になった。
どちらのプレイヤーの音が出ているのか、ちゃんと分かる。
それで僕はようやく、音をじっくりと聴くことができるようになった。
先に左のレコードをかけておいて、リズムを合わせて右のレコードをつなぐ。
よしこれでいこう、と思った。
曲の展開は少なく、しかも同じレコードなのだから
つなぐことはそう難しくないはずだ。現に小柴は見事にやってのけた。
耳を左のレコードに集中させて、ビートを覚える。
大急ぎで右のレコードを頭出しする。
小柴がやってみせたようにレコードを指で逆回転させるべきか、
それとも一度針を上げて、あらためて置き直すのがはやいのか、
逆回転させるとして、盤に触れる時にはどのあたりに指を置けば良いのか、
ラベルの上?盤の端?盤面に指紋をつけたら小柴は怒るかな?怒るだろうな……
そんなことを考えている間にもレコードは回り続ける。曲はどんどん進んでいく。
右の盤の端の溝に針を置き直した。
曲が始まった瞬間に右手の中指と人差し指をレコードの端に置いて回転を止める。
ターンテーブルは回り続け、盤とターンテーブルの間に挟まれたスリップマットが
スーっという音をたてている。
僕は流れている音にあわせて足を揺らしてリズムをとり、
曲がブレイクにさしかかるタイミングをはかって
止めていたレコードから右手をそっと離した。



「あれ?」
練習を始めてから10分以上、僕はその言葉ばかり繰り返している。
何度挑戦しても、2枚のレコードのビートを合わせることはできなかった。
どうしてもずれてしまう。
のろのろと這って押し寄せる蟻の群れのように、焦りが僕の体を覆い始める。
僕はリズム感に自信がない。思い切りも悪い。
例えば、僕は縄跳びの大縄が苦手だ。回っている縄に入るタイミングがつかめない。
以前体育の授業で大縄をした時、記録更新寸前で縄に引っかかり
クラス全体から「あーあ」と恨めしげな声を投げかけられたことがある。
教師に促され、クラスメイトに大声で謝らされた。
あの時は情けなくてなんだか涙が出てきた。あれは悲惨だったな……
なんで今こんな時に古く忌まわしい出来事を思い出すのだろう。

レコードをつなげないことで誰かに謝る必要はない。
けれども僕は自分のリズム感の悪さを久しぶりに痛感し、
また自分の技術が一向に進歩しないことで
小柴に退屈な思いをさせているのではないかと不安を感じ始めていた。
小柴、イラついてないかな……。
せっかく家に呼んでもらったのに、僕の方から「もういい」なんて言うのも
放り出すみたいで失礼だよな……。
集中力は既に失われていた。僕は練習に飽き始めている。
黙っているのが苦痛だった。何でもいいから話したくて、僕は小柴に声をかけた。
「つなぐのって難しいね……」
つまらないことを言った、と僕が後悔したのとほぼ同時に小柴が口を開き
呆れた声で言った。
「あのさあ、お前、そんなの当たり前だろ?
 さっき始めたばっかのくせにいきなりできるワケなんてねえじゃん。
 練習だよ練習。俺がこれまでどんだけ頑張ったと思ってんだよ。
 諦めんの早すぎなんだよ」
「や、諦めてはないんだけど……なんか、どうしても焦っちゃうんだよね」
徐々に小声になっていく僕に一瞥をくれると、小柴は僕に背を向けて
本棚をゴソゴソと漁り、赤い背表紙の本を取り出した。
そしてベッドを指して僕に言った。
「ヨンピルお前そこで少し休んでろよ。で、とりあえずこれ読め。
 つなぎのやりかたとかスクラッチとか、色々載ってっから」
小柴から差し出された本を黙って受け取ると、
僕は長机の前から離れて、ベッドの縁に腰掛けた。
入れ替わりで小柴が長机の前に立ち、レコードをかける。

手渡された本にはビニール・カバーがかけられていた。
表紙の上の部分には『ULTIMATE DJ HANDBOOK』という文字があり
その下に大きく「DJ」と書かれている。
帯には三段で
「いとうせいこう ウルチメイトDJハンドブック」
「都市音楽最前線 DJ に没入せよ」
「YO! POSSE! YO! CHECK!!」
と書いてある。
それは、日之出出版から刊行されたいとうせいこう監修のDJ教則本
『ウルチメイトDJハンドブック』だった。

いとうせいこうは僕にとって、得体の知れない存在だった。
元編集者で、舞台に立ち、小説を書いて、ラップをして、テレビCMにも出る。
いとうせいこうについて僕が知ってるのはそのようなことだ。
まず、ラッパーとして知った。
彼のラップを初めて聴いたのは中学に通っている頃で、
シリアルのテレビCMで流れる彼のラップを暗記して
林間学校の山登りの道中、友だちと歌った。
セガ・マスターシステムのCMで宙に浮くいとうせいこうを見た時は、
任天堂じゃなくてセガってのが渋くていい、と思った。
スチャダラパーのデビューアルバム『スチャダラ大作戦』に収録された
スキットでのコメントも好きだったし、
既に解散していたラジカル・ガジベリビンバ・システムには憧ればかりが募った。
『ノーライフキング』も『ゲーマーハンドブック』も読んだ。
しかし、そんな風に彼の作品や情報に触れても
彼が何者なのかはよく分からなかった。
よく分からないから僕は惹かれた。得体が知れないものこそ僕は知りたい。

いとうせいこうがこんな本を出していたなんて知らなかった。
もしかして僕は今、すごい本を手にしているんじゃないか。
興奮気味にページをめくる。
INTRODUCTION、と題された序文は見開き2ページにわたっていて
黄色い地に小さな文字がびっしりと詰まっていた。

  その名の通り、これは究極のDJ教則本である。
  んーと、あるはずだ。いや、あるべきだ……と思って作ったことだけは事実だ。
  よし、ここは一歩下がって、あればいいと願うといっておこう。
  ひょっとしたら違っちゃってるかも知れないからな。いや待てよ、えー……
  ええい!そんなことはどうだっていいじゃねえかバカヤロ!

イントロはそんな風に始まる。
そして都市の速度、ジャンクから新しい音楽を生み出すDJのありよう、
DJこそがクリエーターであるという挑発的な宣言が続き、文章は一気に加速する。

  音楽に限らず、すべての物は引用の織物なのだ。
  DJはそんな"オリジナリティ"への懐疑をも我々に突きつけてくるのである。
  つまるところ、クリエーターはエディターなのだ。
  自分の中にある記憶を引用して編集し、
  その作業から記憶を超えたハプニングを発見する。
  だからDJはクリエーターそのものだ。要はその編集のセンスである。
  どの曲とどの曲をつなげるか、という基本的な編集センスもさることながら、
  どの曲の上にどんな曲を、あるいはヒップホップでいえば
  どんなスクラッチ・ノイズを乗せるか。
  そしてその試行錯誤からどんなハプニング、
  つまりヒラメキを発見するかなのである。
  (中略)DJは立派なクリエーターなのだ。
  ジャンクを再生する最も建設的なクリエーター。
  そしてまた、テクノロジーを暴力的に破壊し、
  常にデタラメな実験を繰り返し続けるクリエーター。
  それがDJなのである。

たった2ページで、僕は完全にアジテートされた。

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