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ディランにあったらよろしくと
ディラン作品を始めとして、素晴らしいアーチストの素晴らしい作品を、深?く語ります。

ディランは、なぜ日本でビッグでありつづけるのか


 

ボブ・ディランは2011年5月24日、70歳となった。この記念すべき節目の誕生日を祝おうと、世界中の国々でさまざまなイベントがおこなわれ、新聞やテレビといったメディアもこぞって特集を組んだ。ざっと数えただけでもその数はゆうに200を超える。もちろん日本でもいくつかのメディアが取り上げたが、ジャパンタイムズ紙はカラー見開き2ページの特集記事を組んだ。紙面はイギリス人評論家マイケル・グレイによる特別寄稿「One of a kind: Bob Dylan at 70」、ジャパンタイムズ記者アンドリュー・カーショーによる日本が誇る世界的ディラン・コレクター立見伸一郎のインタヴュー「Collector's 'labor of love' is a wonder to behold」、そして日本におけるディランを紹介するぼくの特別寄稿「Up close and personal: Why Dylan is so big in Japan」の3本の記事と写真で構成されている。この記事はbobdylan.comにリンクが張られているので、見落とした人も読んでほしい。

One of a kind: Bob Dylan at 70
Collector's 'labor of love' is a wonder to behold #1
Collector's 'labor of love' is a wonder to behold #2
Collector's 'labor of love' is a wonder to behold #3

ただ、英字新聞なので日本語原文をここに掲載する。ぼくに与えられた命題は「ディランは、なぜ日本でビッグでありつづけるのか」という内容を、レコード会社でディラン担当ディレクターだったぼくの個人的体験をできるだけ交えて書け、というものだった。なお、この特集を企画したカーショー記者は大のディラン・ファンで、うらやましいことに、1966年5月17日イギリスのマンチェスターのライヴを実際に体験している。ひとりの観客が「ユダ!」と野次を飛ばし、ディランが「おまえはうそつきだ」と応じるあの歴史的なコンサートだ。
 

ボブ・ディランと日本 by 菅野ヘッケル

1963年秋、高校一年生のぼくはラジオで「風に吹かれて」を聞き、瞬時にボブ・ディランのファンになったが、その当時日本盤レコードはまだ発売されていなかったし、だれもが輸入盤を簡単に入手できる時代でもなかった。日本で初めてディランのアルバムが発売されたのは1965年秋になってからだ。デビューアルバムがアメリカで発売されたのが1962年だったので、3年後ということになる。この3年の間に、ディランはすでに6枚のアルバムを発表し、フォークからロックへと大きく変化していたのだが。日本で初めて発売されたディランのアルバムは日本独自の編集盤で、30センチビニール盤のA面1曲目には当時かなりヒットしていたシングル「ライク・ア・ローリング・ストーン」が、2〜6曲目には65年の5枚目のアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』のエレクトリックサイドが、B面には63年の2枚目のアルバム『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』から「風に吹かれて」など6曲がそれぞれ収録され、ジャケットには64年の3枚目のアルバム『時代は変わる』の写真が使われるという、いま考えると実に奇妙なレコードだ。


高度成長期を迎えていた60年代の日本では、のちに団塊の世代と呼ばれる若者たちが中心となって、洋楽と呼ばれるアメリカやイギリスの音楽に夢中になっていた。当時の若者たちは、ヴェンチャーズやビートルズによって広まったエレクトリックギター愛好派と、フォークブームがもたらしたアコースティックギター愛好派に二分されていた。


1950年代末、ニューヨークを中心に始まったモダンフォークブームは日本にも波及した。60年代に入ると、ハリー・ベラフォンテ、ブラザース・フォア、キングストン・トリオ、ジョーン・バエズ、ピーター・ポール&マリー、ピート・シーガーたちが次々と来日公演をおこない、日本でもフォークブームがわきおこった。60年代末から70年代初頭、日本では学生運動が盛んな時代だった。美しいハーモニーや美声こそがプロの歌手だと思っていた日本の若者にとって、ボブ・ディランの存在は驚きだった。独特のしわがれた声で自分でつくった歌を歌う。しかも、それまでのポップスにはなかったような意味深い内容の歌詞を歌っていた。ディランに刺激を受けた日本の若者たちの中から、大阪を中心に岡林信康、吉田拓郎、遠藤賢司、中川五郎、泉谷しげる、友部正人、中山ラビなど続々と自作自演のフォークシンガーたちが生まれ、自分たちの主張を歌で伝えた。共感した学生たちは彼らを支持し、フォークフェスティヴァルも盛んに開かれた。


インターネットも携帯電話もない70年代、ディランに関する情報の多くは音楽誌やレコード会社から発信された。月刊誌ニュー・ミュージック・マガジンは、毎号のようにディランなど新しいアメリカの音楽を特集した。ディランの歌詞は難解だと言われるが、日本盤レコードには、かならず解説・英詩・訳詞が添付されているので、ファンの多くは耳で理解できなくても目で読んで理解を深めることができる。ことばの問題は乗り越えられる。全体を理解できなくても、歌は一行でも心に響く歌詞があればいい。ディランの歌には、日本のファンにも理解できるキャッチコピーのような一行、"the answer my friend, blowin' in the wind" "the times they are a-changin'" "any day now, any day now, I shall be released" "How does it feel? Like a rolling stone"などのフレーズが詰まっている。


ぼくがA&Rとして働いていたレコード会社は大掛かりなキャンペーンを繰り返しおこない、ディランのアルバムは日本でもベストセラーを記録するようになった。たとえば1974年にはディランのすべてのアルバムを再発売するキャンペーンをおこなったが、アルバム未収録のレアな音源だけを集めた"Mr. D's Collection"という日本独自の30cmLPをつくり、ディランのアルバムを10枚購入してくれた人にプレゼントした。キャンペーンは大成功をおさめ、"Mr. D's Collection"はコレクターアイテムとして全世界のファンの注目を集めた。1976年のアルバムDesireは、当時20万枚の売上げを記録した。さらに日本でのディラン人気を決定的にしたのは1978年2月の初来日コンサートだろう。初来日を記念してレアな音源を含む日本独自の3枚組アルバム"Masterpieces"を限定発売した。CD時代になってから、なぜかオーストラリアでのみCD発売が許可されている。また来日に合わせ、NHKはテレビで特別番組を放送した。スポーツ新聞は、一面トップで来日を伝えた。まさに、一大事件と同じような取り扱いだった。1万人収容の日本武道館で8回公演という当時の記録を打ち立てたコンサートは、のちにライヴアルバム『武道館』として全世界で発売された。当時の東京の観客はおとなしい人が多かった。ディランが歌っている間は、静まり返り、歌い終わると一斉に拍手する。まるでクラシックのコンサートのような雰囲気だった。最初、ボブは気に入られていないのかと不安な表情を見せたが、ぼくが東京のファンの性質を説明したら理解したようだった。一方、大阪のファンはかなりちがって、大騒ぎをする人も多かった。観客からのリクエストの叫び声に応えて、ボブは「いつもの朝に」「アイル・ビー・ユア・ベイビー・トゥナイト」を急遽歌ったほどだった。武道館でのライヴ録音は、当初2月28日、3月1日、2日の3日間を予定していたが、二日目が終わった時点でボブは「いいコンサートができたので、3日目は録音しなくてもいい」と言ってくれた。ライヴアルバム『武道館』を完成させる作業で、もっともうれしかったことは、選曲、ミキシング、アートワークといったすべてを日本に任せてくれたことだ。このアルバムのライナーノートに"also they can hear my heart still beating in Kyoto at the Zen Rock Garden - Someday I will be back to reclaim it"(そして京都の龍安寺の庭のたたずまいのなかに、ぼくの心臓の鼓動がまた鳴っているのを聴けることだろうーーいつの日かまた戻れることを心に念じつつ)と書いていたディランは、約束通り、その後86年、94年、97年、2001年、11年と来日公演をおこなっている。とりわけ昨年はディラン本人の希望により大阪5回、名古屋2回、東京7回のライヴハウス限定コンサートだった。会場を埋めた観客は、団塊の世代、その子供たち、さらにその子供たちと、三世代に渡る幅広いファンで占められていた。これはディラン・ファンの特徴でもある。一度ファンになると、離れない人が多いということだ。ディラン自身が、創造性を失うことなく、ノスタルジーに陥ることなく、つねに新しい領域を開拓し続けているからだろう。


アメリカやイギリスを中心に多くのディラン本が出版されている。日本でも数十冊におよぶ書物が出版されている。おそらく洋楽アーティストのなかでは最多といえるだろう。なかでも2005年に出版された『ボブ・ディラン自伝』Cronicles, Volume Oneは、ロックスターの本としては異例とも言える売上げを記録した。ぼくはこの本を翻訳したが、できる限り文芸作品、ハードボイルド風なリズム感が伝わるように心がけた。そのため注釈など余計な要素はいっさい加えなかった。


様々なメディアは、ディランを謎めいた気難しい人物のように伝えているが、それはちがう。幸運なことに、ぼくは何度も直接ディランと会って話をする機会に恵まれてきた。コンサートの後で会うと、かならず「サウンドはどうだった?」と訊かれる。まさに、歌うために生まれてきた人であり、とても優しくてユーモア感あふれる尊敬すべき人だ。




 

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