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グランド・ティーチャーズ
中川五郎さんのセンセイたち。ってことは、僕たちのグランド・ティーチャーズ。同時代を生きる共感と敬愛を込めて、ご案内いただきます。

今年も行きました!! クリアウォーター・フェスティバル


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 ニューヨークのグランド・セントラル・ステーションからメトロ・ノースのハドソン・ラインの列車に乗ってハドソン川沿いを北上することおよそ一時間、クロトン・ハーモン駅の近く、クロトン・ポイント・パークで毎年6月に開かれるクリアウォーター・フェスティバル(正式名はClearwater’s Great Hudson River Revival Music & Environmental Festival)に去年に続けて今年も行って来た。
 初めて行った去年2011年、フェスティバルは6月18日と19日の二日間開かれた。出演者のラインナップには45年近く続くこのフェスティバルの創始者にして中心人物のピート・シーガー(Pete Seeger)の名前が入っていたし、ピートとは1960年代初めから交流のある東京フォークロア・センターの国崎清秀さんから、フェスティバルの後にピートの家を訪問する時に一緒に行こうと誘われていたので、去年のフェスティバルに行くいちばんの目的は、ぼくのフォーク・ソングのティーチャーにしていちばんのインスピレーション源でもあるピート・シーガーのステージを見て、彼に会うということだった。そして去年この連載で詳しく書いたように、その目的は見事なまでに果たすことができた。

 クリアウォーター・フェスティバルでは、全部で大小7つあるステージで、午前11時から午後8時過ぎまでの9時間、ほぼ1時間単位でいろんなミュージシャンたちが演奏をする。2011年はもちろんピートだけではなく、昔から大好きなアーロ・ガスリー(Arlo Guthrie)、ジョン・セバスチャン(John Sebastian)、ビリー・プラッグ(Billy Bragg)、サラ・ヒックマン(Sara Hickman)、ダー・ウィリアムス(Dar Williams),デヴッド・バスキン&ロビン・パトゥー(David Buskin & Robin Batteau)、ザ・クレズマティックス(The Klezmatics)、それに最近とても気に入っている若い世代のザ・ロウ・アンセム(The Low Anthem)やジョッシュ・リッター(Josh Ritter)など、ほんとうにたくさんのミュージシャンたちを見ることができた。
 フェスティバルは6月中旬、すなわち夏に開かれ、メインとなるレインボー・ステージや二番目に大きなハドソン・ステージは、ステージ前に日陰がまったくないので、直射日光を浴びて倒れそうになってしまうが、それでも日本にいると絶対に見ることができないさまざまなミュージシャンのライブを見ることができるので、時差ぼけも熱中症の恐怖も何のその、ぼくは二日間頑張り抜いて至福の時を味わった。
 二日目の最後のピートや孫のタオ・シーガー(Tao Seeger)、PP&Mのピーター・ヤーロー(Peter Yarrow)とその娘のベサニー・ヤーロー(Bethany Yarrow)、トム・チェイピン(Tom Chapin)と彼の姪でハリー・チェイピン(Harry Chapin)の娘のジェン・チェイピン(Jen Chapin)、デヴィッド・アムラム(David Amram)とその子供たちが勢揃いしたステージを感動しつつ見ながら(その日は6月の第三日曜日で父の日だった)、時間的にも経済的にもいろんな条件が許せば来年もぜひ来たいとぼくは自分自身に誓っていた。

 恐らく年の明ける頃か、あるいは前の年の冬あたりに新たなクリアウォーター・フェスティバルの告知が始まるのだが、それで今年2012年のフェスティバルの出演者の名前を確かめてみると、いつになってもピート・シーガーの名前が登場して来ない。ぼくはちょっと不安に襲われ、今年も絶対に行くという自分への誓いが少し揺らぎ始めた。何しろピートのステージを見て、できることならピートに会いたいというのが、ぼくがクリアウォーター・フェスティバルに行くいちばんの目的だからだ。2011年の自宅訪問の後、ピートとは手紙のやり取りができるようになり、彼がぼくに送ってくれた手紙には、「2012年もクリアウォーター・フェスティバルで会いましょう!!」と書かれていた。

 一番には90歳を過ぎても元気に歌い続けるピート・シーガーを見るということ、そして二番目には日本ではなかなか見ることのできないさまざまなフォーク・シンガーたちのステージを見るということ、それがぼくがクリアウォーター・フェスティバルに行きたいと思う、大きな目的というか理由だ。しかしそれだけでなく、もうひとつ目的がある。
 それはどんなかたちでもいいから、自分が45年以上関わり続けることになったアメリカのフォーク・ソングの本場というか聖地で、できることなら自分の歌を歌いたい、自分の歌をみんなに聞いてもらいたいという何とも大それたものだ。
 クリアウォーター・フェスティバルのホーム・ページを見ると、そこにはブッキングのページがあり、出演したい者は音や資料と共に、どのステージで歌いたいのかを明記して事務局に送るようにと書かれていた。
 それで去年ぼくはCDやプロフィールをフェスティバルのブッキングの事務局に送ったのだが、いくら待っても梨のつぶてだった。もちろんブッキングのページには、応募した者全員に返事はしないという断り書きがあった。
 そして今年も二度目の挑戦をしようと、DVDやCD、プロフィールなど新たに資料を作り直し、さあ、送ろうとブッキングのページを再確認してみたら、今年の出演者は全部決定してしまい、ブッキングの受け付けはすべて終了したから何も送らないようにと書かれていた。確か3月の終り頃だったと思う。しまった。ぬかった。ぐずぐずしすぎてしまった。いくら悔やんでみても、もうどうしようもない。

 ピート・シーガーが出るかどうかもわからず、自分が歌える可能性もまったくなくなってしまった今年のクリアウォーター・フェスティバル。今年は行くのをもうあきらめようかと考えもしたが、とにかくピート・シーガーの歌う姿がちょっとだけでも見られるなら、一瞬でもピートに会えるチャンスがあるのなら、今のうちに、行ける時に行かないと絶対に後悔すると思い、たまたま昔貯めていたアメリカのエアラインのマイレージが残っていたこともあって、4月の初めに今年もクリアウォーター・フェスティバルに行く決心をして、フェスティバルのチケットを買ったり、飛行機の予約をしたりと、いろんな準備をし始めた。もちろん「今年も行きます。少しでもお会いできたら嬉しいです」と、ピートに手紙を書くことも忘れなかった。

 今年2012年のクリアウォーター・フェスティバルは、6月16日と17日の二日間。11日の夜にニューヨーク入りしたぼくは時差ぼけと戦いつつ何日間かを過ごし、準備万端、ニューヨークに住んでいる古くからの友人のメグこと矢島めぐみさんと一緒に16日の朝メトロ・ノースに乗ってフェスティバルへと向かった。
 前述したようにクリアウォーター・フェスティバルには、メインのレインボー・ステージ、二番目に大きなハドソン・ステージ、ちょっと坂になった木陰にあるスロープ・ステージ、世界各地のダンス・ミュージックが奏でられるダンス・ステージ、主に子供向けの歌や音楽が演奏されるファミリー・ステージ、お話が中心のストーリー・グローヴ、飛び入りが可能なオープン・マイクの時間もあるサークル・オブ・ソングと、全部で7つのステージがあり、そのほかにも仲間でジャム・セッションができるジャム・テントやいろんな楽器が並べられていて誰もが好きに演奏ができるテントもある。反原発運動をはじめとするさまざまな活動家たちのブースもあるし、売店や食事の出店もあちこちにいっぱいある。

 今年のフェスティバルでは、メグと二人でレインボー・ステージの横の木の下にシートを敷いて陣地を確保し、もうひとつハドソン・ステージの前にも大きなタオルを敷いて場所取りをし、そのふたつを拠点にしてプログラムに合わせて、それぞれいろんなステージを見て回った。フェスティバルの参加者たちは、誰もがシートや折り畳みの椅子を持って来ていて、自分たちの場所取りをしているので、ぼくらもそれに倣ったのだ。
 今年のフェスティバルでぼくが見ることができたのは、16日がジョアン・シェナンドー(Joanne Shenandoah)、ティナリウェン(Tinariwen)、プリザヴェーション・ホール・ジャズ・バンド(Preservation Hall Jazz Band)、トム・パクストン(Tom Paxton)、パンチ・ブラザーズとクリス・シール(Punch Brothers Featurring Chris Thile)、ジョッシュ・リッター&ザ・ローヤル・シティ・バンド(Josh Ritter & The Royal City Band)、ジョーン・オズボーン&ザ・ホルムス・ブラザーズ(Joan Osborne & The Holmes Brothers)、メリッサ・フェリック(Melissa Ferrick)、ベラ・フレック(Bela Fleck)、17日がサラ・ワトキンス(Sara Watkins)、メル&ヴィニー(Mel & Vinnie)、オラベル(Ollabelle)、ラウドン・ウェインライト3世(Loudon Wainwright III)、アレハンドロ・エスコヴェド(Alejandro Escovedo)、マーティン・セクストン(Martin Sexton)、ビー・ビーマン(Bhi Bhiman)、デヴィッド・ワックス・ミュージアム(David Wax Museum)、アーニー・ディフランコ(Ani Difranco)などなどだった(出演時間が重なっていて、別のステージに行くためにちょっとだけしか見られなかったものもある)。

 16日のレインボー・ステージの最後を締めくくったのは、今年がウディ・ガスリーの生誕100年なので、ウディの息子のアーロを中心に、アーロの娘のサラ・リー(Sarah Lee)や、ウディの家族や関係者が勢揃いしての「Woody Guthrie 100TH BIRTHDAY CELEBRATION WITH ARLO & THE GUTHRIE FAMILY」というものだった。
 そして「Oklahoma Hills」や「Pretty Boy Floyd」、「Ship In The Sky」、「Ramblin’ Round Your City」といったウディの代表的な曲だけでなく、ウディが遺した厖大な歌詞にジャニス・イアンやビリー・ブラッグ、ウィルコやザ・クレズマティックスなどが曲をつけた「新しいウディの歌」の「I Hear You Sing Again」、「Birds And Ships」、「Hoodoo Voodoo」、「Gonna Get Through This World」なども歌われて行った。
 そしてアーロが自作曲の「All Over The World」を歌った後、ウディがいちばん親しかった友だちということでピート・シーガーが呼び出され、ピートは5弦バンジョーを抱えて元気な姿を見せ、ステージにいたみんなと一緒に、いや、クリアウォーター・フェスティバルに参加していたみんなと一緒に、「City Of New Orleans」、「Keep On The Sunny Side」、「This Land Is Your Land」、そしてアンコールの「My Peace」(ウディの歌詞にアーロが曲をつけた歌)の4曲を歌ったのだ。
 ぼくは思わずステージの前の方へと駆けて行き、目の前で歌うピートの姿をじっと見続けた。声はあまり出なくなって、バンジョーの弾き方もちょっとたどたどしかったりするが、しゃきっと背を伸ばした姿勢で、右手を大きく振り上げてみんなにシング・アロングさせようとするその姿は、まさにピート・シーガーそのものだ。ああ、今年も元気なピート・シーガーを見られてよかった。喜びと感動でぼくの目からは涙が溢れ出てとまらなかった。
 16日のフィナーレの後、バックステージの出入口あたりで待っていると(いわゆる「出待ち」)、しばらくしてピートが何人かの人と一緒に出て来て、車の方に向かおうとした。ぼくは「ハイ,ピート」と声をかけ、彼は振り向いてくれたのだが、あたりは暗く、ばたばたしていたこともあって、ぼくのことには気づいてくれず、そのまますたすたと歩いて行ってしまった。あの場面でピートと少しでも話をしようとしても、なかなか難しい状況だったことはよくわかっているが、一言でも言葉を交わせなかったことがとても残念だ。

 今年のクリアウォーター・フェスティバルにぼくはメグの家にあったギターを持って行った。可能性はほとんどないかもしれないが、チャンスがあればどこかで自分の歌を歌いたいと、その希望を持ち続けていた。そして16日にサークル・オブ・ソングやジャム・テント、みんなが楽器を自由に弾ける場所、それにさまざまな活動家たちのブースなどをチェックして回り、もし歌えるとしたらサークル・オブ・ソングのオープン・マイクの時間しかないという結論に達した。
 そこで17日のお昼前にメル&ヴィニーが演奏しているサークル・オブ・ソングにギターを持ってメグと一緒に行き、そのテントの関係者に声をかけてみると、「12時30分から1時15分までのリック・ネスラー(Rick Nestler)の『Open Round Robin Hootenanny Song Circle』だったら、みんなが輪になって座って一曲ずつ歌って行くというものだから、そこでなら歌えるよ」という答が返って来た。
 ぼくはそのままサークル・オブ・ソングのテントに残り、メル&ヴィニーの演奏が終わってパイプ椅子が大きな輪のかたちに並べられるとそこに座った。そして自分の歌を歌おうとする7、8人の人たちに混じって、4番目か5番目に自分の歌の「一台のリヤカーが立ち向かう」を歌うことができたのだ。

 万一クリアウォーター・フェスティバルで歌えたらと、ぼくは「一台のリヤカーが立ち向かう」と「二倍遠く離れたら」の歌詞の英訳と英語での簡単なプロフィールを準備していた。フェスティバルに行く前日、メグがそれらをフォトショップでいろいろとやって、二枚のリーフレットにしてくれていた。
 それを配って「一台のリヤカーが立ち向かう」を歌ったのだが、みんな英訳した歌詞を読みながら聞いてくれ、手話通訳の人もそれを読んですぐに手話通訳してくれた。歌う前には「日本は去年の3月11日にあんなとんでもない原発事故が起こったのに、また原発を再稼働しようとしている。今こそ一人一人が立ち上がって、世界中の原発を止めなければならない」と、ほんとうにたどたどしい英語で歌に込めたメッセージも伝えた。
 椅子の輪には20人くらい、そのまわりにも20人くらいと、人数はそれほど多くなかったが、クリアウォーター・フェスティバルでアメリカの人たちを前にして、自分の歌というか、日本からのメッセージを訴えることができて、ぼくはとても嬉しかった。みんな歌をしっかり聞いてくれたと思うし、テントの中にはニューヨーク州にある老朽化したインディアン・ポイント原子力発電所の危険性を訴え、それを廃炉にしようとする運動に関わっている人もいて、歌った後、その人の紹介でその運動の中心人物のマンナ・ジョー・グリーン(Manna Jo Greene)さんと話をし、繋がりを持つこともできた。
 マンナさんからはクリアウォーター・フェスティバルが制作した『Eyewitness Fukushima』というDVDもいただいた。そのDVDのことは。今度どこかで詳しく書きたいと思っている。

 今年のクリアウォーター・フェスティバルの片隅で「一台のリヤカーが立ち向かう」を歌ったことで、とても小さくてもいいから、ちょっとずつでもいいから、何か新しい結びつきが生まれ、何か新しい動きが始められるのだとしたら、ぼくにとってこれほど嬉しいことはない。
 今はまだ今年のクリアウォーター・フェスティバルの感動と興奮の余韻に浸っているが、もう少ししたら来年のクリアウォーター・フェスティバルのことを考え始めることにしよう。

 クリアウォーター・フェスティバルのサークル・オブ・ソングで、ぼくが「一台のリヤカーが立ち向かう」を歌っているところをメグが撮影してくれ、フェスティバルで彼女が撮影した写真と共に、素晴らしい作品に仕上げている。見ていただけるとすごく嬉しい。

http://www.youtube.com/watch?v=dkZT00A6TsM

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<関連リンク>

クリアウォーターフェスティバルのオフィシャル・ページ
http://www.clearwaterfestival.org/

インディアン・ポイント・セーフ・エナジー・コーリション
http://www.ipsecinfo.org/

クリアウォーター・フェスティバルでの「一台のリヤカーが立ち向かう」
http://www.youtube.com/watch?v=dkZT00A6TsM

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