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酒場にて
日本全国常に一見。だが、旨い酒にはこと欠かない。酒と少しの音楽の話。

帯広


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 半年程前になるが、手根幹症候群という症状に悩まされた。左手の親指から薬指の内側半分まで痺れている状態で、しかも厄介な事に握力までが無くなるという病いである。それは、いくつかの仕事を終えた翌日突然やってきた。目が覚めると、左手に痺れを感じたが、睡眠時の体勢の所為だと思っていた。それなら良くある事で、1〜2時間もすれば問題ない、と高を括っていたのだが、一向に痺れは引かない。そして試しにギターを持ってみたら、愕然とした。ほとんど握力が無く、左指で押弦できず音が出ないのだ。普段、少しの不調でも全く病院や診療所に足を運ばないのだが、この時ばかりは神経内科に駆け込んだ。が、この選択が良く無かった。手の痺れの場合、神経内科はまず脳梗塞の予兆を心配するのだ。いや、もちろん念入りな処置なのだが、結局、脳梗塞の心配が失せたのは、その後に紹介された救急病院で死に至る病いではない事が分かり、一度帰宅した。が、半日かけても全く症状は改善には向かわず、夕刻に整形外科に行き、手根幹症候群という病名を告げられた。おまけにすぐには直らない事も指摘され、その週のリハーサルとライヴはキャンセルした。ライヴを欠席したのは初めての事だったが、その日の事にまつわる出来事は思い出深く、またの機会に書き記す事にしよう。

 この病い、小指は全く問題ないのだ。翌週にイベントで30分程の演奏の仕事があったが、幸いバンド編成。なので、全ての曲を小指にボトルネックをつけて、スライドだけで対応することにした。イベントの前日にはステロイド注射もうってもらい、発症の時よりは握力は回復したが、まだまだ満足に押弦できなかった。

 キャンセルしなければならない仕事もあったが、許されるのであれば、出来る限り、スライド・ギターで対応した。そして、カルメン・マキさんの北海道ツアーに突入するのだが、今回の編成は、マキさんにベースの瀬尾高志君、そして私というトリオ編成。これでは全曲スライドは厳しい。ツアーまで二週間ほど、回復を待つばかりだった。

 医者からは、酒は止められてはいなかった。ただ、薬の効果に影響するので、程々にということだったが、今回ばかりは少しは自粛した。ツアー前の同じメンバーでの横浜のライヴでは、まだまだスライドの割合が多かったが、マキさんは然程気にする事無く、私もほんの少しではあるが回復の兆しも感じていた。

 さて、発症からほぼ三週間、左手の休養もそれなりに重ね、日常生活ではほぼ問題無いくらいまでは回復した。しかし、休憩を挟むとは言え、二時間以上のステージを無事に演奏出来るのかという不安はまだ完全には拭えない。そして、渡道の直前の吉祥寺での鈴木常吉さんとのデュオでは、押弦がギターに比べて多少楽なバンジョーを多用したとは言え、一応無事に務めることが出来たのだが、アンコールではかなり握力が落ち、やはり少し不安が残った。

 そしてその2日後に北海道に飛ぶ。初日は札幌、2日目は函館と超満員で良いステージが出来た。アンコールではやはり握力の落ちはあったが、先日の吉祥寺とは違い少しの余裕もあった。特に函館終演後には、マキさんにも瀬尾君にも、もう完全復活だね、と告げられた。しかも翌日は移動のみで休めるということもあり、随分ホッとしたのは良く覚えている。

 なのだが、この症状、リハビリテーションと休養のバランスが難しい。医者には充分な休養が一番と指示されたが、それじゃ仕事にならないから適度に、と促されていた。その適度が難しいのだ。函館から道央に向かう途中で、瀬尾君推薦の秘湯、濁川温泉に寄り、充分な休養をしたつもりだったのだが、翌日の苫小牧では、寒さの所為もあったのかもしれないが、初めから握力が薄いのだ。なのでこの日はスライド・ギターの割合が少し多くなり、なんとか乗り切った。実は普段ボトルネック奏法はそんなに積極的にしないのだが、このツアーではかなり上達したような気にもなった。翌日の浦河も良い状態ではなかったが、演奏時間が若干短く、ベーシストの立花泰彦さんがゲスト参加という事で、幾分休みながら弾くことが出来た。またまた不安がぶり返したが、久しぶりの浦河、立花さんや鈴木翁二さん交えて、旨い魚と酒。

 そして、帯広に着く。温泉付きホテルに連泊なのだが、到着日はオフ。洗濯の最中に湯船につかる。脱水が終わる頃を見計らって、部屋に戻る。ビールの缶を開け、洗濯物を干し、そしてまた湯船につかる。まだ日は落ちず、寒くは無かったので、少し散歩する。この街に来たのは5〜6年振りか。覚えている建物、通りもあれば、おそらくここ数年で建て変わったビルも少し目立つ。いくつかの覚えていた居酒屋も無くなっていた。

 一軒、居心地の良かった炉端焼居酒屋を覚えていたので、そう近くは無かったが、日が暮れる頃、マキさんと瀬尾君を連れて行った。すぐに見つかったが、看板が斜めに外れていて、閉店した事は一目瞭然。もう一軒、宿の近くに普通の良い居酒屋があったことも思い出し、そちらに足を戻すと、ここも閉店。飲み屋街は総じて数年前の活気は減り、唯一、数年前から規模を広げた屋台村だけは結構賑わっていた。

 その屋台村、どの店も7〜8人で満員になるくらいの大きさだが、暖簾もあまり無く、磨りガラスも使っていないので、どこも店内の様子がよく見える。若い女性が取り仕切る店はおおむね満員。マキさんに「どうあの店。篠ひろ子みたいじゃない」と言われた時はぎくっとしたが、カウンターは親父が超満員で埋っていた。

 寒くなってきたので、宿に近いちょっと大きいが落ち着いた店に入った。安価とは言えないが、酒も肴も旨い。グッと重心を下げたいところだが、ここは軽めにして、また温泉に浸かった。

 翌日も朝から湯治の様だった。充分な休養と温泉の効果か、本番最後まで、左手の異常は無かった。安心した。

 打ち上げで連れて行かれた店は、私が探していた一軒の移転先の店だったが、店主は変わり、普通の居酒屋というより銘酒居酒屋と言う風情になっていた。何も文句は無かったが、少し残念だった。

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